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ふわふわさらさら

こんにちわ! こうしてご覧いただけるご縁に感謝します。 気になること・なんとなく思いついた妄想などを気ままに描いていきます。 もし気になる部分がありましたら受け取ってください。 お気に召さないようでしたら「たわ言」と笑っていただければ幸いです!

「常識」の外側へ!

こんにちわ!
最近ことさら社会の様子が慌しいですね。
皆さんも色々と忙しい日々をお過ごしだと思います。
貴重な時間をこのブログの訪問に使って下さいまして有難うございます!
テーマの都合上、少々理屈っぽくなってしまった個所もありますが、よろしければしばらくお付き合い下さい。


ちなみに皆さん
日々の社会生活を営む時に欠かせない「常識とは?」と聞かれたら何と答えますか?


そしてもし
あなたが「常識」として認識しているすべての内容を箇条書きにして紙に書き出すとしたら何ページくらいになりそうですか?


(イメージしてみてね♪)


今回はあまりにも身近にありすぎるせいで気に留めることもないのに、気になって深く考え始めると不思議なくらい判らなくなっていく「常識」について僕なりに考察してみたいと思います。
詳細な項目から考え始めるとどんどん複雑になって理解が困難になってしまうので、「常識」が持っている性質を整理していきますね。


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※筆者からのお願い:
この先に展開する考察内容に関しては善悪判断や優劣判断、有利・不利などの判断をせずに「考察内容に妥当性はあるか」又は「同意できるか出来ないか」だけの視点で眺めるように読んでください。
いわば地球外生命体になった気分で外側から人類の生態を観察する感覚で論の展開を見守ってください。
よろしくお願いします。


ではでは準備OK?

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(1) ===[ 常識って誰のもの? ]===

「常識」と聞くと、ほとんどの人は条件反射的に「みんなで共有している価値観」みたいな漠然とした意識で捉えているのではないでしょうか。
もしこの仮定に妥当性があるならば、「常識って誰のもの?」という問いに対しては「常識はみんなのもの」という回答が出てきますね。


ただし、この回答を正解とすると不都合な事態が発生してしいます。
例えば「自国の常識が他国の常識とは限らない」という感じです。


これは少し考えると当たり前の事なのですが「常識」は意識することがないにしても地域的な制約を受けています。
ならば適用範囲を限定して自国の中であれば全ての自国民が「常識」を共有してると考えていいでしょうか?
たぶんこれも「No!」だと思うんです。


じゃあ地域をもっと限定して自分が住んでる地域だけで考えてみるとどうでしょう。
これもたぶん「No!」ですね。例えば自分の住居の隣に住んでる人が自分と同じ常識で生きている訳ではないですもんね。


さらに限定的にして家族だけならば「常識はみんなのもの」は成り立つのでしょうか?
今までの人生の中で繰り広げられて来たご自分の心情と家族とのやり取りでどんな出来事があったかを少し思い返してみてください。
その時は我慢したけれど、どうしても腑に落ちない出来事ってありませんでしたか?


冒頭にその内容をイメージしてもらった紙に書き出された「常識」って結局は誰のものなんでしょうね???
結局のところ、僕は「常識」って「その個人だけのもの」だと思うんです。
だけど多くの人達は「常識」を「みんなのもの」と勘違いしてる。
これが実情だと思うんです。


僕は人生の様々な場面で登場するいろんな問題の発生源がここに潜んでいる「勘違い」にあるように思えてならないんですよね。
例えば今までの人生を振り返ると誰でも一度くらいは『おまえは非常識だ!』みたいな事を言われたことってないですか?
僕は結構たくさん言われて来ました(笑)


その経験を冷静に振り返って、その意味を視点を変えて思い返すと
『おまえは非常識だ!』 = 逆説的に『みんなの常識に従え!』=実際には『俺の常識に従え!』
って事だったと思います。
(その人達は当然、無垢な善意で僕に注意してくれたのでその方々への感謝の気持ちはあります)


そして当然、僕にもかつて逆の立場で同じような事を他の人に言ってしまった経験があります。
「常識」と命名された個人の価値観をその人が「みんなのもの」と勘違いしてしまっている時、一方的に自分の価値観を他者に認めさせようとする暴力的な欲求が無自覚なまま生まれちゃうんですよね。

『こいつは常識を未だ知らない。だから俺が教えてやらなければならない!』みたいな善意から発動する迷惑な欲求です。


もしあなたが上記の私の考察に妥当性を感じて頂けるようでしたら、「常識」という漠然とした意識に潜んでいるこの「勘違い」に注目してみてください。
これって個々人によって発動力の強弱や表現方法の違いはあるとしても、「善意」を「暴力的な承認要求」に転換して「常識」を拡散していく全自動メカニズムとして個々人が稼動している人間社会の様子を観察することが出来ると思います。


(2) ===[「常識」をあるべき理想として捉えた時の性質 ]===

「常識」を今現在すでに持っている固定的な「みんなで共有している価値観」と仮定すると、そうであることを否定する奇妙な結果が出てきます。
では次に常識の前提を変えて違う視点で考察してみましょう。
「今は実現していないけれど将来的にそうなることが望ましい全人類が共有し尊重すべき理想的な価値観」としてみます。
言い換えれば、価値観のモデルケースとして捉え直して考察してみますね。


今現在、明確に言葉にすることは少ないとしても、こんなモデルケースが多くの人に認識されていると思います。


◆勉強して良い成績を修めて、良い上級学校に進学してそこでも良い成績を修めて、良い企業に就職して良い業績を積み重ねてスキルを磨き、社会の中で上位のポジションを得て、良い収入を得れば幸せに暮らせる。---(A)


どうでしょう? あなたの頭の中にもこのモデルケースが入ってませんか?
ちなみにこれって別の「常識」と相克していることにお気づきでしょうか?


◆個性を尊重し、多様性を認める社会を作らなければならない。---(B)


もしあなたが、街で一生懸命に個人経営の店舗を営む店主さんや、若い頃から熱心に技巧の習得に励んできた職人さんに(A)を力説したとしたらどうなるでしょう?
(※その様子を想像してみてください)


もしあなたが、企業の第一線で企画商品の販売促進を通して利益拡大の実現に励む人に(B)を力説したらどうなるでしょう?
(※その様子を想像してみてください)


上記した(A)以外にも「男らしさ」、「女らしさ」、「社会人らしさ」、などの「○○らしさ」で表される個性の均質化圧力は(B)と相克しますよね。
意識して探せば他にも相克する関係の事柄を「常識」の中から見つけることは難しいことではありません。


この相克する価値観の両方を自分が受け入れている状態で自分の思考にに何が起きているかを冷静に見つめていくと、どちらにも抵触しないように思考の範囲を狭めて自分の「信条体系」が論理破綻しないように自己防御している自分自身に気が付きます。そしてこの相克関係にある「常識」が何重にも絡まった状態で個人の「信条体系」が構築されている時、その人は何かを突き詰めて思考しようとすればするほど出口のない思考迷路に陥って行きます。
そして「視野の偏狭」や「識別力の低下」などの慢性的な思考力の低下を引き起こしてしまいます。


(3) ===[「選択の自由」という詐欺トーク ]===

(1)では「常識」が個人から個人へ拡散していく性質を記述しました。
(2)では「常識」が思考迷路となって個人の思考力を低下させる性質を記述しました。
この二つの性質が稼動している状態で人々の生活に何が起きるでしょう?


有名なセールストークに『A案とB案のどちらにしますか?』という商談相手に契約を促す営業トークがありますよね。
商談相手はA案とB案を比較して好みの選択をするので「これは自分が選択した」という満足感と購買に対する責任感を持つことになります。
けれど、どちらを選ぼうがセールスマンにとっては契約成立となって売り上げになるという商談術です。


これと同じことが人間社会の中でも起きてるんですよね。
例えば、政治の選挙において有権者は保守派政党とリベラル派政党の選択をする場面が多いと思います。

僕は個人的に、この世には人間の肉体を持った悪魔さん達が実在していて、彼らが人類を悪魔的な支配術で操り続けてきたと考えています。ですので以下はその認識を前提にして記述していきます。
もしあなたが「そんな事はあり得ない!!!」とお考えでしたら、以下の記述を「妄言」笑い飛ばしてください^^


選挙のときの保守派政党とリベラル派政党の両方が悪魔さん達の支配下にあると仮定して考えてます。
つまり主要各国の政府は既に悪魔さん達に憑依されており、表側の政府とは別に民衆にはその存在が見えないように工作された「影の政府」が存在しているという前提です。
選挙の結果が保守派政党であれリベラル派政党であれ、悪魔さん達にとってはどちらでも構わない状態です。そして有権者は選挙に参加した満足感と自分が一票を投じた責任感を持つことになります。


視野が偏狭になっている有権者は二党の選択にしか思考が及ばず、二者の後ろに隠れている悪魔さん達の存在には気づきません。また仮に選挙の最中に何か疑問を感じた人が居たとしも識別力が低下した状態だと、抱いた疑問の「何か」が何なのかを追求せずに「気のせい」や「現実がこうなんだから仕方がない」といった理由をつけてその疑問を終了させると思います。
結果的に悪魔さん達は思い通りに人類を操り続けます。


これも僕個人の推測ですけど今現在の世界の主要各国の中で悪魔さん達の影響を国家単位で排除してる国はロシアくらいじゃないかと思ってます。
こんな時に悪魔さん達が都合の悪い相手を潰す時によく使う手口が「正義vs悪」の構図をでっち上げる方法です。
各国の主要メディアを使って「正義」を作り上げ、都合の悪い方を「悪」に仕立て上げる手法です。
アメリカが長年ロシアを敵視して来た事や、西側陣営のメディア報道だけでは中東地域のISISが絡む情勢がさっぱり判らない事や、ウクライナのクリミア問題でやたらロシアを批判する報道ばかりだった事の理由を悪魔さん達の実在を前提にして考えていくと、詳細な事情は判らないにしても、何故こういう事態になったかという自分なりの納得できる解析ができていきます。


このパターンの場合、民衆がメディア報道を鵜呑みにした状態だと個人の良心に従って「正義」を応援するので戦争開始に伴う決定や負担や結果に納得することになります。もしアメリカ大統領がトランプ氏ではなくヒラリー氏が選ばれていたとしたら世界情勢は今よりももっと緊迫していたと推測しています。アメリカの大統領選挙の時に主要メディアの報道がトランプ氏を「不適格者」に仕立て上げて落選させようとしていたのも、この「正義vs悪」の構図で読み解けます。


話を元に戻すと、民衆は確かに現在に至るまで何らかの選択をしてきました。あたかもそこに「選択の自由」があったかのように個人の自由を行使してきました。
改めて過去と現在の社会の様子を「常識」の制約を取り払ったあなた自身の自由な思考で考えてみてください。
全部「常識」が用意した詐欺トークじゃなかったですか?


(結論) ===[ 他の思考法を省略して私的に「常識」を総括してみる ]===

(1)~(3)の考察はできるだけ文章を短く簡素にするために大雑把な論理展開で書いています。
ですから論理的な不備を指摘できる箇所も多くありますし、具体的な例の不備も指摘できます。より適した他の思考方法を用いるべきだとの意見もあると思います。


ちなみに僕が「常識」について漠然と疑問を抱き始めたのはもう数十年も前からになります。
当初は「常識」が描き出す世界観を把握したくて色々と考え始めたのですが、考えれば考えるほど矛盾点が多すぎて世の中のことがどんどん判らなくなっていきました。
当時はもっといろいろなパターンで「常識」が描き出す世界と現実の整合性を模索していたのですけど、本当にどう考えても、「常識はいいもの」という前提で「常識」の各項目をつないで世界を描こうとすると世界や社会の実態と「常識」で謳われる綺麗ごととの乖離が酷くなっていって理解不能に陥りました。


当時はそれでもなんとか合理的に全体が整合する美しい解釈を付けようと何度も何度も試み続けました。
一向に解決しそうにないのに、それでもなお真剣に考え続けた挙句に僕はウツになりました(・。・);


そしてこのブログで度々登場してくる人間の肉体を持った悪魔さん達の存在に気が付いて、「常識」の中に作為的に分裂・対立・摩擦・争いを誘発させる仕掛けが仕込まれている事に気づいた時、それまで理解不能だった「常識」の謎が解け始めました。


「常識はいいもの」という大前提が反転して「常識は怪しいもの」と切り替えて考え直すと、悪魔さんが仕掛ける手口を推理していくことで人間社会の様々な実情に納得できる説明がついていきました。
お陰さまで今ではすっかり元気です o(*^▽^*)o~♪


ここまで「常識」を良くないイメージで記述してきましたが、ここで全く違う視点で「常識」を眺めてみますね。
ここまで何度も「常識」という単語を使用してきましたが、そもそもこの言葉って明確に定義の出来る概念ではないですよね。
僕は自論として、常識の正体を社会に遍満している共通の価値観ではなく、そう勘違いしているだけの極めて個人的な個々人の頭の中にある独自の「信条体系」として語りました。
僕は今のところこの自論に対して全く不自然さを感じていません。


ただし、個人が価値体系を形成するに至った材料となる「情報」を運んだものは何だったんだろうとも考えています。
この運んだものを考えていくと、それって多分間違いなく「愛」なんですよね。


例えば親が子供の将来を考えてしっかり育って欲しいという願いを込めて「人の上に立つ」という事を教えたとしましょう。
この教育の中には明確に「支配関係に従属する意識」が挿入されています。これは人類が代々受け継いだ悪魔思想をそのまま子供に伝える行為ですね。
でもこの行為の根底には間違いなく、その親が我が子を愛してるという想いがあります。


人類は確かに悪魔さん達から傍若無人に振る舞われて大迷惑をこうむりました。
ただ、もし仮に人類がもっと素直にもっと素敵に「愛」を表現する方法を知っていたら、人類はとっくの昔に悪魔さん達を地球上から退場させることが出来ていたかもしれないですね。
みなさんは間違いなく「愛」の中にいます。今までも、そしてこれからもずっとそうです。だって悪魔ですらそうだったのですから。


これからの未来って、人類が愛されてきたことに再度気づいて愛することをもっと素直にもっと素敵に表現していくことがテーマになるような気がしてなりません。


(じゃあどうする?) ===[ 「常識」の外側へ! ]===

もしあなたが「常識」にどっぷり嵌った思考に陥っている方だとしたら、ここまで記事を読んでくださった時点でかなり苛立ちを感じていると思います。
その点について謝罪いたします。すいませんでした。
そしてそんな方ほど『じゃあどうしろって言うんだよ!!!』と言いたくなっていると推測します。


僕はその解決の方法を模索するとき、鍵を握るのは結局「愛」だと思うんですよね。
ここまで「常識」を批判的に論じてきましたが、上記したとおり「常識」を広めたのも、その個人の「信条体系」を作る「情報」を伝えたのも「愛」だったと思うんです。
ただ、残念な事にその材料となる「情報」の数々が、悪魔さん達が支配社会を構築するための「詐欺情報」だったというだけです。ただそれだけです。


つまり、人類みんなが生きやすくなるような愛に基づく「情報」や「手法」を今までと同じように人から人へ広めていけば、最初は戸惑いや混乱が起きたとしても徐々に着実に世界が変わっていくと考えています。


どうでしょう? 素敵だと思いませんか? 
もう殺し合いなんかしなくていい世界。
嘘なんかつかなくていい世界。
真摯に対等な調和を目指す世界。
政治家や権威者に自らの運命を丸投げすることなく、個々人が自立性と自由意志を発揮して人類全体で人類の運命を決めていく世界。
僕にはそんな未来像が見えます。


そしてその時に「愛って何? どういうもの?」と改めて探求することが最も重要だと考えています。
現在に至るまで「愛」について論じた哲学者ってたくさんいましたけど、その各論に共通している特徴は「難しく分類項目を細分化しているだけで結局なんなのか判らない」という印象しかありません。
そんな細分化よりも、もっとシンプルで判りやすくてストレートにハートに響く「愛」の探求が人類にとって必要になってくると思います。


こんなこと書いてますけど僕自身「愛」ってどういうものなのか良く判ってません(笑)
ただ、僕自身はその探求の道への入り口は既に記事にした『自分を愛してください』と『目覚めちゃった人へ』で書いた内容だと確信しています。
ですので実を言いますと、僕はもうブログを使ってご縁のある方々へ伝えたかった内容を既に書き尽くしているのです。。。(⌒▽⌒)v
(そうは言っても、気が向いたときに思いつくまま記事を書くつもりでいますので、もし僕の文章をお気に召していただけるようでしたらまた遊びに来てくださいw)


(ちょっとご注意!) ===[ 「愛」に関する詐欺トーク ]===

ちなみに、世間一般でよく言われている『自分のことより他人を愛しなさい』みたいな言葉って人を不幸にする詐欺トークですのでご注意ください。
これを真に受けて真摯に実践すると自分がどんどん疲弊していって自分が不幸に陥り、その道連れに周囲の人を不幸にしていきます。
もし他人を愛することで本当に自分の人生が上手く行っているとおっしゃる方は、単に自分が自覚している以上に自分の事を愛している方か、そうでなければ他者を愛していると言いながら他者を詐欺に掛けて自分だけが不当な利益を得ている方かのどちらかです。
失礼ながらここで断言させていただきます。


真摯に過去記事『自分を愛してください』の内容を実践している方は既にお気づきだと思いますが、人間には自分を愛する以上の愛で他者を愛する能力がありません。
自分を愛しているレベルが、他者を愛することができる最大レベルになります。これは本当に瞬間瞬間のリアルタイムで変わって行きます。
過去記事で書いた内容はあくまで僕が経験した心理的経緯なので、途中で辿る経緯は人それぞれだと思いますが行き着く先はたぶん同じだと思います。
自分の内面に愛を持ってダイブして行ったつもりが、いつの間にか外側に居る自分に気づきます。
(この点に関して過去記事では詳細を記しませんでしたが、いつの日か記事にするかもしれません)


(最後に) ===[ 皆様へのお願い ]===

この「常識」に対する結論はあくまでも僕にとっての結論なので、もしよかったら皆さんも改めて「常識」について考察してみてください。
最初は常識的に「常識はいいもの」から始めて、何かがおかしいと感じたら「常識は怪しいもの」としてご自身で自分の解答を出して欲しいと願っています。
何故なら、自分自身が辿るべき途中経過をなるべく省略させて模範解答だけを他律的に引用させて記憶させようとする合理的思考も悪魔が人間社会に仕込んだ風潮だと思われるからです。


悪魔さん達は民衆に「愚かであること」を求めます。簡単に言えば悪魔さん達は人々が持つ「善意」をエネルギーにして人間社会が自動的に「思考能力のない従順な機械人間」を生産し続けるように仕組んでいます。
だから私は、ご自身が納得がいくまで自分自身で考えて欲しいと願っています。
あなたが出す結果が何であろうと私は一向に構いません。私はあなたに賛同を求めません。同意も求めません。


私が何よりも重要だと考えているものは、あなた自身が貴方らしい貴方が納得いく貴方の為の結論を出す思考行為そのものです。
結論がどうであるかは問題ではないのです。途中で間違いに気づいた時は再思考すればいい。不都合が無いようならさらに理解を深めればいい。
結論なんてただそれだけのものです。


(私の未来予想) ===[ 皆様へのご提案 ]===

注意:ここに記述するご提案は全て私的な推測と私的な意見で書かれています。このご提案を受け入れるか拒否するかは読者の皆様の心の判断にお任せします。
もしあなたの心が拒否するなら無視してください。もしあなたが心から腑に落ちたという感じがしたら参考にしてください。


今後数ヶ月のうちに、今まで隠され続けてきた大規模な犯罪行為や隠蔽され続けてきた秘密が今以上に次々と暴露されていって世界中で混乱が起こると推測しています。
これは歴史の中で現在に至るまで脈々と構築され続けてきた悪魔支配維持の為の社会システムが崩壊していくのに伴って付随的に起こる事態です。
もしかしたら一時的な地域紛争などもあるかもしれません。これらの騒乱は2~3年くらいは続くと思います。
皆さんの不安を煽るつもりは全くありません。
ただそうなってしまった時に、あなたが無用な動揺をしない為に心の準備をして欲しいと願っています。


この騒乱の期間中、人々が先祖代々慣れ親しんできた常識に対する信奉が急速に崩壊していくと思います。
崩壊する常識には日常的なものだけではなく、政治・経済・軍事・情報・教育・歴史・文化・道徳・宗教・科学などの多岐にわたる内容が含まれると思われます。
その時になるべく無駄な動揺をしなくて済むように、今からご自身の心と仲良くして心の声を聞く習慣をつけておくことをご提案いたします。


先祖代々受け継いできた昔ながらの常識の数々は、たぶん皆さんが自覚している以上に根深く個人の信条体系に反映されていると思います。

私自身も含めて多くの人々が、日々の生活において頭の思考に頼って物事の判断をする習慣を持っています。
その頭の思考の基盤となっている信条が次々と否定されていくと、人によっては不安や恐怖にさいなまれる場面が多々起きてしまうと推測しています。
その予防策として、ご自身の心と仲良くして心の声を聞く習慣をつけておくことをお勧めします。


どうかそうなってしまった時は頭の思考ではなく心の声に助言を求めてください。
そもそも私達には「常識」なんかに頼らなくても「神性」や「仏性」と呼ばれる正真正銘の良心が備わっています。


その心に頼ってください。
その心の声を聞いてください。
きっとその声があなたを新しい世界へ導きます。


私はそう信じています。


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長文に最後までお付き合い下さいまして有難うございました。
またどこかでお会いしましょう!

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