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ふわふわさらさら

こんにちわ! こうしてご覧いただけるご縁に感謝します。 気になること・なんとなく思いついた妄想などを気ままに描いていきます。 もし気になる部分がありましたら受け取ってください。 お気に召さないようでしたら「たわ言」と笑っていただければ幸いです!

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ごめんやけどお気に入りのアニメを語らせて!(笑)

こんにちわ!

寒いながらも空の感じが一段と透明感を増してきた気がする今日この頃。
みなさんいかがお過ごしですか?

今日は何故だか唐突にアニメの話を書きたくなってしまったので、お気に入りのアニメ作品について書かせていただきます(笑)

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「このタイミングでアニメの話か!!!」と怒らないでね♪

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読者の方にのんびり楽しんでいただけたら幸いです。

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僕は結構いい歳をした大人なんですけど、去年から少し古めのアニメ作品を頻繁にレンタルしてきて観るようになりました。
念のため主張しておきますけど僕はアニメオタクではありません。
少なくとも西暦2016年までは...(笑)

アニメに熱中していた想い出は思春期の頃に『機動戦士 ガンダム』(最初のシリーズ)を毎週欠かさず熱心にテレビで観ていたのが最後の記憶です。
ちなみにこれも当時の僕には衝撃的な作品でした。

この作品が登場した1980年頃までのアニメ作品は善と悪がはっきりと分けられていて「正義の味方が悪を滅ぼす」というお決まりのパターンが繰り返されていた時代です。
そんな中でこの作品だけは「どちらも善とは言えない。でも悪とも言えない。何が善で何が悪なのか判らない」というストーリーが展開されていました。
あの頃の僕はそこに引き込まれていたんだと思います。

どうでもいい話ですけど、僕の父は頑強なまでに「正義」とか「正しい」にうるさい人でした。その頑固親父っぷりはもう凄かったです。
子供としてはいい迷惑だったくらいに... w(・x・)w

たぶんその頃は社会の雰囲気が全般的にそういう時代だったんでしょうね。
こんな事を書いてる僕もそんな父の影響もあって当時はすっかり「正しい」を気にする子供でした。

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その子が今では善悪の両方を越えようとする大人をやってる不思議がここにあります(笑)

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=== いま一番のお気に入り作品 ===
みなさん『攻殻機動隊』って作品をご存知ですか?
これって映画が公開された1995年・テレビ放映が開始された2002年当時から巷で話題になってかなりの熱狂的なファンを集めた作品らしいです。
昨年ハリウッドで改めて実写版としてリメイクされたくらいですからすごい人気作品だったんでしょうね。
(個人的な感想としてはこれはアニメで観た方が魅力的です。この作品を実写で撮るのはいろいろな意味でどうしても無理がある気がします...)

ちなみに実写版の『攻殻機動隊』はアニメ版の世界観や含まれているメッセージを削り過ぎていて使われている名称は同じでも内容としては全くの別作品になっています。
この記事で僕が記述している内容とハリウッドで製作されたものは無関係であることをご了承ください。(補足のため二行追記 Jul. 27. 2018)

僕はこの作品が持てはやされていた当時のことを知らなくて、去年の春くらいにいつも面白い話をする経済評論家のyoutube番組でこの作品名を知りました。
その論者は素人には理解が難しい専門的な話に笑いを織り交ぜながら世間に流布している一般的な通説を理にかなった論説で壊しながら斬新で新鮮な知識を提供してくれる人でした。
その頃の僕はその人が出演している番組を好んで検索して見ていました。

その方がこの作品のファンらしく、2~3番組ごとに1回はこの作品名を持ち出すのでだんだん気になってきてなんとなくレンタルして観たのが最初の切っ掛けです。

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--- 『攻殻機動隊』に描かれている世界観 ---
時代設定は西暦2030年くらい。
大多数の人々が自らの脳みそを含めた身体の一部または全部を電子化・機械化している時代。
産まれながらの生身の部分とサイボーグ化された部分を併せ持つハイブリッドな人が殆どで、身体の機械化率も使用パーツの性能もそれぞれにバラつきがある人々で社会が構成されている近未来世界。

表向きは警察機関の部署と位置づけられている公安9課に所属する「少佐」と呼ばれる女性主人公(草薙素子)と彼女が率いる6人の部下が権力や社会の闇に潜む巨悪と対峙しながらそれぞれが織り成す人間模様を描き出している作品。
公安9課のメンバーは法的には警察官ではあるが実際には軍隊のレンジャー部隊員と同等の戦闘力を持つ特殊戦闘員であり、組織としても実質的に警察の命令系統から外れた独立部隊として存在している。

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--- GHOST IN THE SHELL(殻の中の幽霊) ---
『攻殻機動隊』の副題として用いられている「GHOST IN THE SHELL」(殻の中の幽霊)という原作者独自の概念は作品全体を支える背骨のように全話に貫かれていると思います。

作品の中の人々の一般的な心理を推測すると、身体の大部分をサイボーグ化し、頭脳までも能力向上の為に電子機械化した状態で生きる日々の生活は潜在的に「私は本当に私なの?」という不安を生み出しながらも無意識的にその疑問に自分が気づいてしまわないようにそこから目を逸らす生き方を模索する自己矛盾を抱えているように見えました。

僕にはこの作品に出てくる登場人物の全てがそれぞれに本当の自分を探しながら、そうでありながら同時に本当の自分から逃げようとしているように感じます。

だからなのかも知れませんがシリーズ第2作目『攻殻機動隊 S.A.C.2nd GIG』の最終話の中で描かれていた、言葉にするだけで壊れてしまいそうなほどに淡くほのかなラブストーリーのシーンで僕は泣きそうになっちゃいます(笑)
その一瞬だけ、ほんとにその一瞬だけ、殺伐とした人生を送ってきた主人公が「少佐」でもなく「女」でもなく、僕にはただそこにいるそのままのその人に戻ったように見えました。

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この作品群は全体を通して「人間とは何だ?」、「自分とは何だ?」という問い掛けを僕に提供してくれます。
僕はそれがとても嬉しかったです。

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=== キーワード ===
去年ふと気づいたことですけど、「この社会は何かがおかしいよ」とか「こんな考え方もありますよ」といたキーワードが自分が気づかなかっただけで以前から数多く巷に出回っていたんですね。

有名なのは映画『マトリックス』の3部作。
この第1作目が公開された西暦1999年頃の僕は単なるアクション映画として楽しむだけでした。
去年改めてこの3作品を観た時は以前とは全く違う着眼点でメッセージを見つけ出しました。

そういうメッセージとなるキーワードを含んだ作品って案外たくさんあるようです。
去年から僕はアニメ作品を中心にそういうものを探していました。
密度という意味ではかなりバラつきがありますけど、わりとそういうものを含んだ作品はたくさんあります。
その手のメッセージって現状の社会通念や個々人の一般的な信念と競合してしまうので「作り話」として映画やアニメに挿入するほうが発信しやすいのかも知れませんね。

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--- アニメ作品として気になったもの ---
『攻殻機動隊』(STAND ALONE COMPLEX / S.A.C.2nd GIG / ARISE 3シリーズ及び劇場版 )
『涼宮ハルヒの憂鬱』(及び劇場版)
『コードギアス 反撃のルルーシュ』・『コードギアス 亡国のアキト』・『コードギアス 反撃のルルーシュ R2』
『楽園追放』(劇場版のみの作品)
『異世界の聖機師物語』
『ゼロから始める魔法の書』
『新世紀 エヴァンゲリオン』

エヴァンゲリオンなんか1995年テレビ放送開始の古い作品なのにモロに人類の進化をテーマにしていてちょっと笑いました(笑)

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--- 映画作品として気になったもの ---
『マトリックス』(3部作)
『美しき緑の星』(フランス語原題:La Belle Verte)
『アバター』(原題:Avatar)
『ジュピター』(原題: Jupiter Ascending)
『メッセージ』(原題:ARRIVAL)
『ミムジー ~未来からのメッセージ~』(原題:The Last Mimzy)
『ソフィーの世界』(ノルウェー語原題:Sofies verden)

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他にもいろいろあるんだと思います。

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--- 見たいものは何? ---
僕は映画『ソフィーの世界』の原作となった哲学思想の歴史をソフィーという少女が精神的に成長していく様子になぞらえて綴った書籍(同名タイトル)が面白くて好きだったので西暦2000年くらいにDVDを買いました。
最初に見たときは書籍の内容どうりではなく独自のストーリーが展開されていたことが不満で一度観ただけで本棚に放置したままにしてたんですけど、今年の元旦にふと目にとまって改めて見直したら案外メッセージがたくさん織り込まれていました。

経験談としての意見ですけど、人間ってやっぱり見たいものしか見てないんだと思います。
今の僕は新しい時代が到来する気配や既に張られた新時代のための伏線や現在の進展状況を知りたいと常に望んでいます。
だからそれに応じたものを見つけ出してるんだと思います。

言葉を変えれば「人間は望んでいるものを知覚する」という事だと思います。
こんな言い方だとそれが人間の欠陥のように聞こえてしまうかも知れませんが、僕は逆にこれによって人が人として存在できているように思います。

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みなさんは「ホワイトノイズ」という言葉をご存知でしょうか?
例えば音楽のような音の情報でいうと、耳で聞き取れる20ヘルツの低音から20,000ヘルツの高音までの全帯域の音が同じ音量で鳴ってるような状態です。
これを聞いてもただの不規則で意味の無い雑音でしかないです。いわゆるカオス状態です。

人間の認知を考えてみたときに、先述したアニメ作品や映画作品を完全に全く何も望まずに観た場合どうなるんでしょうね?
僕にはそんな事できないので推測でしか言えませんが、おそらく時間を浪費すだけで何も感じることなく何も印象に残らない無意味なものにしか見えないと思います。

身の回りや世の中で展開される数々の事象に対して、全く何も望むことなくそれらを知覚してしまうとただのホワイトノイズの状態(カオス状態)としか知覚できないような気がします。
それでは自分が何を知覚しているのかも、それ以前に自分が本当に存在しているかどうかすらもハッキリ判らなくなくなってしまうから僕らは自覚すらできないくらいの精妙さで「自分の望み」に沿ったモノを目の前に展開される数々の事象の中から見い出し選び出し、それに相応しい独自の意味を付けて自分だけのストーリーを綴ることをスムーズに全自動でやってのけてるんでしょうね。
その中で各自が自分だけの独自の世界を展開させているんだと思います。

これはつまり自分の望みを変えることによって周囲にある事象から見い出すものを変更し、それに相応しい新しい独自の意味付けを展開することで自分にとっての新たなストーリーと新たな世界観を顕にすることが可能であることを意味しています。
僕が昔見た映画作品から以前とは違うものを見い出したのはそのせいだと思います。

「フォーカスしてください」という言葉もこの人間の性質を活用して、しっかりと本来の望みを意識することによってしっかりとした新たな世界観で新たな行動と成果の獲得を促す意味だと受け止めています。

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--- 思考の選択 ---
前回の記事で僕は「好み」という言葉を使いましたが、僕がこの言葉に込めた想いは「それってほんとに好き? ほんとに自分に相応しい?」という問い掛けを込めて言葉を選びました。

これは僕自身もしょっちゅうやってることなんですけど、ついついネガティブな思考に自分が支配されてしまったその時に、もし心に余裕があったらちょっと立ち止まって自分自身にこんな問い掛けをしてみてください。

「こんな考えは好き? この思考は自分に相応しい? こんなことを自分は望んでる? どう?」

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僕はたいていの場合、「やっぱりこれやめた」で終わります。
その時のモヤモヤしているそのネガティブ思考はイメージの中で光の粒子でできた煙の塊に置き換えて「気が済んだよ。ありがと~」とお礼を言ってからサラサラと風に流します。

ただ、敢えて「ネガティブでもいい!」と決めた時はそのまま行っちゃいます(笑)
当然、その結果は自分で受け取る覚悟の上でね。

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それとは逆に突然いいアイデアが閃いたら「それいいよね!」って自分を認めてあげたらいいと思います。

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僕は自分の思考に対して主体的に自由意志を行使して意識的に自分の思考を選んでます。この行為は充分に主体的でポジティブな生き方だと思ってます。
よく「ニュートラル」という言葉を見かけるんですけど、僕にとってのニュートラルな立ち位置は自分の思考を意識的に選択するここにあると思ってます。

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--- 思考から行動へ ---
前回の記事で「心で考える」を紹介しましたが、誤解のないようにもう一度補足しておきます。

これは何よりも先ず「できるだけ心を自由にすること」が最も重要なポイントとなります。
その次にその自由な心の感性で可能性を広く見渡していってください。

僕もそうなんですけど、新規に何か新しいことをやろうとするとついつい不安な気持ちに引きずられて詳細な行動計画や厳格な目標設定や達成条件ばかりに気を取られて結果的に可能性をどんどん狭めていって思考が袋小路に入っていってしまいがちになります。
これって先ずは不安や恐怖から考え始める頭の思考が先行してしまってるからだと思います。

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日々の日常生活の中から行動を選択するときは先述した方法で一連の流れの中から行動を選択すればいいのですけれど、まったく新規に新たな事を始めようとした時はなかなか大変ですよね。

そんな時はリラックスしてゆったりと柔らかく心を広げて、素の自分として自分が想い描いている周囲の様子や自分の姿を自由に感じるところから始めてみるのもいいかも知れません。

その感覚の世界の中で素の自分として「どんな感じのことをしたいか」をぼんやりと空想してみるといいと思います。
「こんな感じのことをしたい」とおおまかに感じ取れたら、その感じを物質世界で表現するとしたらどんな方法やどんな媒体を使ってやりたいかをまたゆったりと空想していくといいと思います。

あくまでも「望み」を基軸にして自由な心が先行していくように気遣ってください。
おおまかに全体的な「まとまり」が出来たら自分が「こんな感じでいいな」と思えるまでその「まとまり」を微調整してみてください。

頭の思考での理屈が必要になるのはほんとに最終段階でいいと思います。
理屈は他の人や自分の脳みそさんに説明するためのものだと割り切ってもいいと思います。
案外理屈なんてそんな風に後付けの補助役に徹してもらった方が論理展開の自由度が増して活用しやすいです。

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あと、なるべく小さな規模から始めるほうがいいと思います。
思考の主導権を自由な心に渡して、心の自由さに見合った規模で思考してみてください。
あまり懸命になり過ぎないようにしながら「練習気分」か「遊び感覚」みたいな気楽さで楽しむように試してみてください。
上手く行かないなら何度でもやり直せばいいし、日を改めて試してみてもいいと思います。

もし途中でワクワクするものを見つけたら迷わずそれを選べばいいです。
「ワクワクする」も「直感」と同じで肉体側の自分にはその理由は判らないけれどとても重要な情報であるという点で同じだと思います。

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--- 「キーワード」に望んでいることは何? ---
スピリテュアルの世界で「キーワード」と呼ばれているものは沢山あるようです。
ちなみにあなたが「キーワード」に対して望んでいることは何ですか?

前回の記事でも書きましたけど、僕にとって重要なキーワードは「自分を愛する」と「素の自分の探求」の二つだけです。
他の情報は僕にとってはこの二つをスムーズに機能させるための補助知識くらいかな?

もし自分を樹木に例えると「自分を愛する」は水分や栄養分を集め自分自身を支える根っこです。
「素の自分の探求」は種子が苗となり、さらに大きく生長していく生命力です。

成長していく過程でも、ふと根っこが接している部分におおらかな大地があり、そこに水分や栄養分が用意されていて、そこにはそこの生命活動があることに気づきます。
成長していくうちに自分に枝葉がはえてきて実りがもたらされることにも気づきます。
自分の周囲に光や風や、時には雨や嵐があることにも気づいていきます。

僕はそんな事がとても嬉しいです。

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僕にとってのキーワードとは、字面のテキストデータとしては変化が無いままにその言葉が指し示す意味内容の深さや広がりが自分と共に変化して自分と共に成長していくものです。
つまり「真実は多元的」です。

もし仮に、キーワードと呼ばれる数多の言葉を「情報の断片」と捉えてキーワードを全部集めれば情報が完成すると発想してしまうと抱えている問題がかえって面倒な事態に陥ってしまうような気がします。

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とても意外な事ですけれど、自分は自分のことをよく知らないんですよね。
映画『マトリックス』の預言者の部屋の壁に掛けてあった木の板に書かれていた『己を知れ』という言葉も同じことを指し示していること思います。
『己を知れ』という言葉を記憶するだけで終わるテキストデータとして捉えると全く価値が生まれません。
己を知ることにどれほどの絶大な価値があるかを言葉で説明することは可能でしょうけど、その文章を知識として記憶するだけなら自慢話のネタくらいしか活用方法はないと思います。

この言葉が価値を発揮するのは、自分が自分を感覚的に理解できたその瞬間ですよね。たぶん...
 
好きなキーワードの中で一つでも身体の細胞達が納得するくらいに感覚的に理解できたら、記憶の段階で留まっていた他の知識が連鎖的に理解できたり、新たに別の有益な情報を見つけ出してどんどん吸収できるようになったりすると思います。(補足のため一行追記 Mar. 4. 2018)
 
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--- 涼宮ハルヒの憂鬱 ---
人生を思い返すと意外な事に僕は自分のかなりの部分を自動操縦で生きていたような気がします。
出来事に反応していつものように泣いたり笑ったり、時には激怒したり誰かを大絶賛したり・・・
それでもふと我に返った瞬間があったりもしました。
その我に返った瞬間、自分のその時の姿を見つめていた自分が確かにいたような気がします。

※最後に『涼宮ハルヒの消失 劇場版』の中に出てきた僕の大好きな言葉を記しておきます。

 ・・・ 私 は こ こ に い る ・・・
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なんだかよく判らない長文に最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう!

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