忍者ブログ

ふわふわさらさら

こんにちわ! こうしてご覧いただけるご縁に感謝します。 気になること・なんとなく思いついた妄想などを気ままに描いていきます。 もし気になる部分がありましたら受け取ってください。 お気に召さないようでしたら「たわ言」と笑っていただければ幸いです!

推理だけで悪魔さんの手口を語ってみる

こんにちわ!

8月ですね~
今年はことさら太陽さんの光が力強いです。
ほんとにもうフラフラしちゃうくらい...(笑)

みなさん、この夏、いかがお過ごしですか?

.
8月を迎えた記念に、このタイミングで悪魔さんの詐欺の手口を簡単にまとめておきたいと思いまして、今回もいつものように妄想全開で記事を書いていきます(笑)
(何の記念やねん?w)

この記事を読んでくださる読者の方に軽く楽しんで頂けましたら幸いです。
もしお時間がありましたら少々お付き合いお願いします。

.
=== (はじめに) ===
以前、僕がこの世界の在り方に疑いを持ち始めた頃に「悪魔さん達はいったいどうやって世界規模で人々を騙してるんだろう?」という素朴な疑問を持った時期がありました。
すぐに気付くのはメディアを使った情報工作や諜報機関を使った偽装工作などですけど、もっと深いところで何かがあるような気がしてしょうがなかったんです。

他にも政府や医療・教育・宗教・食料・金融・重大情報の隠蔽などの様々なチャンネルでの工作はあると思いますけど、その辺りは専門的に真実を追究しているサイトが沢山ありますのでここではそれらに触れずにおきます。
もしそちら方面に興味があるようでしたら別の情報サイトを探してみてください。

ここでは、もっと悪魔さん達の詐欺システムを原理的に推理した結果を記述していきます。

.
=== 推理に基づく悪魔さんの詐欺システム ===
僕は悪魔さん達が人間社会をコントロールしていると考えていますが、たぶん多くの普通の人達はそうは思っていないでしょう。
これって巧妙な詐欺師と被害者の関係によく似ていますね。
被害者を騙しているのに、当の本人には気付かれることなく騙し続ける詐欺師の手口です。

つまり逆に考えて推理すると、普通の人が「普通のこと」と考えている中にトリックがあると推定できるわけです。

その意味で、僕自身もこの記事を読んでくださっている読者の方も、自分自身が悪魔さんの手口を推理する上での貴重な体験者であり分析対象であると言えます。
これはある意味とても便利です。だって自分の人生を冷静に正直に分析すれば、詐欺のトリックを理解した上でその結果を今後の人生に活用できる訳ですからね。

.
この先に書き込む内容は、僕が自分で自分を不幸に追いやってしまった時の心理経過の分析と各種情報サイトの記事を参考にしながらそのメカニズムを推理したものです。
個人的な推理過程を書いても何の論証にもなりませんし、無駄に文章が長くなるだけなので分析結果だけを記します。

いつものように「そうだね」と感じたら内容を参考として受け取ってください。「そんなわけないよ」と感じたら笑って済ませちゃてください!
そしてくれぐれも鵜呑みにするようなことはしないで下さい。どうぞ貴方の識別力を活用してください。
自分が巡り合った情報は、自分が探しているものを探り当てるためのヒントでしかありません。
僕はそう思ってます。

.

--- 詐欺システムの原動力 ---
(a)分離感覚
(b)善悪二元論

.
誰にでも人生の中で孤独感にさいなまれてしまった経験があると思います。僕にもあります。
悪魔さんの詐欺システムは、そんな些細な個人レベルの感情を詐欺システムの原動力として利用するところから始まります。

あなたが孤独に落ち込んでいた時、「誰も自分の事をわかってくれない」と他者から切り離されてしまった「分離感覚」を感じていたと思います。
分離された孤独の中で「悪いのは自分じゃない!」みたいな想いが何度も駆け巡ってひたすらにその状況を善と悪で理解しようとしたと思います。

そうなってしまった出来事の経緯や善悪真偽は今は問題視せずに、心理経過として自分の中で起きた「分離感覚」と「善悪二元論」の両者が持つ関係性の方に注目してみてください。

①「分離感覚」を強く感じているたびに、なにかと「良いor悪い」(善悪二元論)で周囲を見て批判や判断を繰り返していたと思います。
②「良いor悪い」(善悪二元論)を基に批判や判断をやればやるほど、周囲に見えるものを「良い」と「悪い」の二つに分けて分離感覚に基づいた世界観を無自覚に構築してどんどん強固な観念にしていったと思います。
③ 強化された分離感覚で出来上がった世界観の中で他者と接するうちに、自分自身にも他者にも「良いor悪い」を繰り返し当てはめてその分離感覚の世界観を膨らませてしまったのではないでしょうか?
④そして何度も嫌な出来事を味わっていくうちに、いつの間にか「分離感覚」で生きる事を「普通のこと」として受け入れてしまう結果になったと思います。
⑤「分離感覚」を「普通のこと」として認識した後は、物事を善と悪にで区別することを当然のことと考え始めたと思います。

つまり「分離感覚」と「善悪二元論」の両者には相互をより強固に正当化していく相互作用があるわけです。

もしかしたら読者の中に「記述の説明どおりだとしても何故そんな事ををわざわざ解説するのか? その意図がわからない。」と疑問を持たれる方もいらっしゃると思います。
ここで少し視点を変えて考察してみます。

.
誰でも大好きな人と幸せな時間を過ごしている最中には分離感覚が無いと思います。
また、お気に入りのアーティストのコンサートに行って、一体感と共に無心に充実した時間を過ごしている時なども分離感覚が無いと思います。
人は幸福感を得ているポジティブな心理状態にある時は分離感覚がありません。
(少なくとも大きく低減されます。)

.
逆に嫌な人と険悪な遣り取りをしなければならない時、そこでは分離感覚を強く意識すると思います。
また、不条理な理由で不当な扱いや孤立に追いやられた時なども分離感覚を強く感じることになると思います。
自分一人で罪悪感や劣等感に苦しんでいるときなども、そこには同じく分離感覚があると思います。
つまり人は不安や恐怖を感じるネガティブな心理状態にある時には分離感覚が強く現れます。

.
この比較から「分離感覚」がネガティブな心理状態になってしまった時の心の警告ブザーのような働きをしていることが伺えます。
僕はここで敢えてこんな問い掛けをしてみます。

人々の普通の暮らしの中で「分離感覚」が「普通のこと」になってしまっているのは何故なんでしょう?

.
--- 詐欺システムのフォーマット(オートメーション化) ---
(a)弱肉強食(競争原理の正当化)
(b)唯物論(物欲的価値観への思考誘導)
(c)お金(価値基準の単一化)

上記の三つは社会生活の中で当たり前すぎて、どれもそれを問題視した事がない方がほとんどだと思います。
そしてこれらは国籍や地域や文化圏を問わず地球規模の社会通念になっていると言えます。

.
(a)弱肉強食(競争原理の正当化)
学校の授業で「食物連鎖」について習った人は多いと思います。
僕が授業で習った時の要点としては「自然界では弱い生物は強い生物に捕食される関係にある。そのため弱い生物は数が多く、強い生物は数が少ない。」だったと記憶しています。
そんな説明を聞くとなんとなくそんな気がしてしまいますけど、ちょっと引っ掛かるものもあります。

「だったら弱い生物から順番に絶滅して行って最後は誰も居なくなっちゃうんじゃないの?」

だってそういうことですよね?(笑)

.
素直に考えると、地球全体の自然の在り方に即して「調和」とか「循環」をキーワードにして生態系の食物連鎖を説明するほうが教育として適切なように思えます。
なぜ「弱肉強食」を概念の核心に埋め込むような内容で比較的低学年の時に教えるんでしょう?
食物連鎖を「弱肉強食」という観点で生徒に教えるのって、自然の理を教えているというよりも人間社会の都合を教えてるだけでしかないように思えます。

弱肉強食の概念って、とどのつまり競争することを当然のこと教え込んで、結果的に勝者と敗者を多層的に生み出しつづけるシステムの基盤を作っているように思います。
そして人々にストレスや不満を蓄積させて「正義vs正義」の闘争を必然的に誘発させる元凶になっているような気がします。

.
(b)唯物論(物欲的価値観への思考誘導)
以前、高次元的存在からのメッセージサイトを見ていたときに『愛よりもテクノロジーが先行してしまった文明は必ず滅びる』というような一文を見た事があります。

僕にはこの言葉の信憑性を確かめることは出来ません。ただし、地球の現状を考えると「確かにそうなんだろうな」と思えてしまいます。
簡単な例として、人類は既に地球を破壊できるだけの核兵器を持ってます。核兵器削減交渉は継続的に進められているとしても問題の本質が核兵器の量とは思えません。
仮に今すぐ地球上から全ての核兵器を根絶できたとしても、現状を本質的に解決できるとも思えません。
兵器の側の問題なのではないと思うんです。
人間の側の問題です。

深刻に考え過ぎてしまうのはナンセンスですけど、人々が物質的な価値観ばかりに視線を向けてしまっていて、テクノロジーを操る人間側の精神性とテクノロジーの進歩度合いがアンバランスになっていることに無頓着なのは明らかです。
そして僕はこのアンバランスが悪魔さん達によって意図的に作り出されたものだと考えています。

何故なら人々の精神性が向上すると、それに伴って識別力や多くの視点で多角的に事象を捉える能力が向上してしまうからです。
そうなると、人々が新たな視点で物事を捉えて今までにないアプローチで問題を解決する能力を手に入れてしまいます。

悪魔さんは人々に「自分で考える能力が無い愚か者」であることを求めます。
人々の能力が上がってしまうと詐欺のカラクリに気付かれてしまうので、悪魔さん達の立場では人々がいつまでも物質的な価値観に固執して精神性の向上を目指さないように仕向ける必要があるわけです。

.
蛇足ですけど、もしここで精神性の向上と宗教を結び付けられた方がいらしたとしたら深くその発想内容を熟考することをお勧めします。
個人的な見解ですけど、僕は開祖の言葉や宗教者の言葉に共鳴する事はあっても宗教団体に対しては肯定的な見方をすることが出来ないです。

もし仮に高次元的存在からのメッセージを「教え」として採用しているような団体があったとしても、宗教団体が共通して使っているフォーマットに則したやり方でメッセージを運用しているとしたら、僕はそんな団体に何かを期待することなどしないでしょう。

ただし、だからと言って宗教を持っている個人を否定する気はありません。逆に特定の宗教を自ら選んだ方ならば、宗教を侵食した俗世の理屈を見抜いて突き破るくらいに追求して欲しいと願ってます。
勝手な意見をまた記述してしまいますけど、その時に問題になるのは「信仰する対象は何か」というよりも、「自分は何者か」と誠実に正直に自分を見ていく愛と勇気だと思います。
(※表現に誤解を招きやすい個所がありましたので「見抜いて」を追加しました。Sep. 9. 2017)

.
(c)お金(価値基準の単一化)
僕は今となっては「お金」が人間の文明の発展過程の中で自然発生したものとは思っていません。

その前提で人間社会の中で「お金」が果たしている効果を考えていきます。
お金の機能として最初に思い浮かぶのは物やサービスを受け取るときの「交換品」としての役割ですね。
この機能についても弊害はいろいろあると思われますが現時点ではそれほど大きな問題ではないと思うので詳述はしません。

別の問題点を明確化するために、ここでちょっと「お金」の本質は何なのかを考えてみてください。
普段目にする貨幣や紙幣は具体的な物体ですけど、それらは「お金の本質」ではないですよね。

この本質について自分でいろいろ考えて、最終的な自分の見解として、「お金の本質」とは「お金には価値があると全人類で信じ込んでいる大規模な思い込み」だと結論付けました。

--------------------------------------------------------------

この結論ってちょっと判りにくいと思うので、簡単な思考実験をしてみます。
自分を除く全人類が「この日からお金には一切の価値がないものとする」と取り決めて、とうとうその日がやってきたとします。

その日から自分がいくら「お金」で対価を支払おうとしても誰もそれを対価として認めなくなります。
自分が何を主張しても、その瞬間からお金ではない「何か」を相手に渡す必要に迫られることになります。

これを逆転させた場合も思考してみます。
自分を除く全人類が「お金には価値がある」と考えている環境の中で、自分一人だけが「お金なんかに価値は無いんだ!」と主張したとしても通用しません。お金の支払いを要求されます。

さらに自分が人類を包み込む地球さんになったつもりで、その視点から人間社会の「お金」という習慣を眺めてみます。
人類が「お金」というものを使っていようがなかろうが地球さんにとっては全くもってどうでもいいことでしかありません。

自然界にはそもそも土・水・空気などの物質的な要素たちや、その中で生命活動を営む各種生命体が互いが共存する「調和」や「循環」はあっても、単一的な交換価値を持つ「特定の何か」があるわけではありません。
単純に「お金」は人間の都合で使われているだけの人間社会の習慣です。

以上の思考実験は実現感の薄いナンセンスな内容ですけど、「お金の本質」が実体の無いものを有ると思い込んでいる人類規模の「思い込み」であることは結構な妥当性があると思ってます。

--------------------------------------------------------------

「お金が無いと困る」とか「お金は良いor悪い」とか「お金を利用すべき数々の有益性」とかはここでは問題視せずに、この状況を別の側面から眺めてみます。
日々の生活に立ち返って考えると、お金を持ってないと自分が生存することすら危うくなります。この事情は誰でも同じです。
だからお金を持っていることが幸福であることの重要な要件にもなっている訳ですね。
そしてこのお金を保有することの重要性は、地球全体の規模で人類共通の当たり前になってます。

この状況を今度は悪魔さんの立場で眺めてみてください。
なんと都合のいい状況なんでしょう!

「お金」はそもそも思い込みでしかなのだから、人々がすんなり納得する理由さえ用意できれば増やすことも減らすことも出来ます。
そして生活する為の人類共通の必需品となっている「お金」は、お金の流れを操る悪魔さん達の立場から見れば、気づかれずに人々の行動を遠隔操作するのに好都合なコントロールハンドルとしても有効に機能するわけです。

.
●(a)~(c)の価値観を組み込こまれた社会構造の中で何が起きているかを単純化して考察します。
まず人々が分離感覚と善悪二元論に固執した心理状態であることを念頭においてください。
分離感覚が心理の根底にある時、基本的に他人を信じ切ることが出来なくなり、自分は損をしないように警戒する心理が働きます。

弱肉強食をベースにした人々が営む社会では常に競争することを求め・求められ、必然的に争い事が起きかねない緊張状態が日常生活レベルから国家間の関係まで各階層に構築されています。
この不安定な環境の中で悪魔さんが作為的に「お金」の流れを操り、業界レベル・世界的な地域レベル・国家レベル・国際的な金融や株式レベルでお金の過不足を作り出すと、それに連動して物品の動きも過不足が起こり、人々の心理は自動的に更に不安定化してその状態を反映した行動を起こします。
人々は漠然とした不安感や恐怖感が慢性的に心理に焼き付けられ、その結果、人々は落ち着かない心理状態のまま近視眼的で安易な善悪判断による問題解決策ばかりに目を奪われ行動する状況を継続していきます。

時に悪魔さん達は大小問わず人々を戦争へ誘導する演出を行い、不安定な心理状態の人々は不安定さを増しながらただ「正義」を妄信し殺し合いの状況へと駆り立てられます。
歪んだ心理状態は歪んだ社会通念を作り出し、その歪みを正当化しながらまた新たにその歪みを人々の心理へ焼き付けていきます。

この環境を作り出しているメインの原動力は、実は普通の人々なのだろうと思います。
悪魔さん達は普通の人々の不安定な心理状態を維持する為に、時には不安を煽り時には安楽感を演出しているように思えます。

その時に使う手法は各種のチャンネルから発信される真実に嘘を混ぜた偽情報や暗に誤解を誘う偏向情報、重要な出来事から人々の視線を逸らす為のおとり情報などの「嘘」です。
もう一つの手法は具体的に戦争やテロや金融などの物理次元の危機を演出して、人々の不安定な心理を動揺させて破壊的な事態を引き起こさせようとする「ハッタリ」だと思います。

.
ここで是非注意してほしい事があります。
人々の心理を不安定にさせている要因は、その殆どが日常の生活で繰り広げられている人々の普通の行動の中にあります。
つまり、互いに互いの心理を不安定にさせるオートメーション機能が稼動する社会構造になっていると思われます。
その意味でこの状態を解消する重要なキーを持っているのは、実は僕ら一人ひとりの普通の人々です。
僕らの思考です。
僕らの意識です。

僕はそう思います。

あくまでも個人的な見解ですけどね♪

.
--- 永遠の思考迷路 ---
僕らは普通の感覚として「善」と「悪」が選択肢として現れた場合は常に「善」を選択します。

ところで僕らは何を基準にして善悪を判断しているんでしょうね?

もっと言えば、物事に善悪判断を下して対処すれば問題が解決するという考え方って、本当にそのまま使い続けてもいいんでしょうかね?
そもそも何故「善」と「悪」がまったく別物であるかのように感じるんでしょうね?

.
既に記述したように不安感や恐怖を払拭しきれない状況の中で「善」を語り「正義」を信じて行動しても実際には効力が薄く近視眼的な解決策しか思いつかないと思います。
そもそも善悪の基準になっている感覚が、分離意識から始まり弱肉強食の理論を基にしたものがバージョンを変えながら複雑怪奇に変形したものに過ぎないというのが実情だと思います。
この古いフォーマットの中に居続ける限り、善をつなぎ続けて独善的な闘争を繰り広げた挙句に次の争い事を生み出す結果しか出てきません。

客観的な善を求めると、法律などの公共ルールの策定に頼るしかなくなり、それがどんどんエスカレートすると最終的には法律が普通の生活を脅かしかねないほどの不自由さを要求してくる事態しか招きません。
それはそれで悪魔さん達にとって好都合なコントロールハンドルになっていきます。
だってもう奇妙な感じがする法律って出来始めてますもん。

.
善悪二元論に頼る思考は、それ自体が自分で自分を縛るただの思考迷路でしかないと思います。
そこから抜け出さない限り永遠に出口のないただの思考迷路です。
僕はそう思います。

.
=== 意識のステップアップ ===
ここまで読んでくれた方に感謝します。
ありがとうございます。

.
僕は人類文明が今このタイミングで新しい段階にステップアップしている最中だと考えています。
人類文明が次の段階にシフトする時期が来ていると感じています。

その意味でもう善悪二元論と分離意識の枠を飛び越えた新しい意識へステップアップする時期なんだと思っています。

ここまで散々悪魔さん達を悪者扱いしてきた僕なんですけど、たぶん彼らは彼らで僕らには理解できない理屈で彼らなりの「正しいこと」をやってきたんだと推理してます。
人々を殺し合いに追いやっても、それは彼らの「正義感」が根拠になってるんだろうと思われます。僕らからしたら常軌を逸してますけどね。

逆に考えれば、今僕らが普通に使っている「正義」と言う言葉も「善」という概念も、それらの多くがすごくいい加減であやふやなものなんだろうと思います。
あてにすべきものではないと思います。

.
もう、いつまでも彼ら悪魔さんに付き合ってあげる筋合いなんか僕らにはないです。
悪魔さん達にはとっととご退陣いただいて、気づいた人から順次それぞれのペースで次のステップへ進んで行けばいいと思います。

人類文明は既にいい年頃になりました。
もう人類に悪魔さん達は必要ないです。

.
さて課題になるのは
「善悪二元論や分離意識をどうやって飛び越えたらいいの?」
という素朴な疑問になりますよね。

僕自身もなんとなく判ったような判ってないようなあやふやな状態なので、きちんとした事は何も伝えられないのですけど、読者への提案として少しだけ書いておきます。
気に入ったものがあれば参考にしてみてください。

きっとこれから重要になるのは、統合していく「愛」と真実を見据える「勇気」です。
濃密で重圧な「重さ」から、広くて柔らかい「軽さ」への変容です。
たぶん間違いなく。

.
--- 落ち着く ---
多くの方が「落ち着くってなによそれ?」って疑問に思うでしょうけど、経験談としてお話しすると僕自身の初期の段階では頭と心がそれぞれバラバラになってしまっていて、特に頭の中では騒々しくいろんな屁理屈がずっと飛び交い続けていました。
自分の内面がそんな状態だったことすら最初は気づいていませんでした。

ですので、まずは愛と勇気をもって自分を内観したり瞑想するのがいいと思います。
内観や瞑想を難しく考えて形式ばったスタイルで捉える必要はありません。
お気に入りの場所でリラックスできる姿勢で好きなようにやればいいと思います。

ネットで検索するといろいろなやり方やコツが出てますので、気になる方は調べてお好みの方法を試してみてください。

.
愛と勇気で自分の内側を統合していくと、それだけでいろいろと思わぬ効果が現れます。

.
--- 価値の軸を自分の中心にすえる ---
これは以前にお伝えした「素の自分で生きる」という言い回しと同じ内容を指しています。

分離感覚が強く作用している場合は、たぶん自分の外側に価値の軸を置いている方が多くいらっしゃると思います。
例えば、「信頼する人や偉い人が○○と言ったから自分も○○が正しいと思っている」みたいな感覚でいるならば、それは価値の軸を自分の外に置いています。
他にも「これは正しい教えなのだからこの教えの通りにやるべきだ!」という感覚も自分の外側に価値の軸を置いています。

その意味で、僕が綴る文章の内容を信頼してくださる方であっても、もし仮に盲目的に信じようとしている方がいらっしゃったとしたらそれはとても良くないです。
だから僕はこのブログを読んでくれている人に、僕の文章の全てを参考として読んで欲しいと願ってます。
僕は世界に溢れている全ての情報を、自分にとってはただのヒントでしかないと思っています。
見つけた情報の何を採用して何を切り捨てて、採用した情報をどう解釈してどう発展させるかの全てを自分の感性に沿うようにやってください。

自分の真実は自分の内側にしかないです。ただ自分の内側にあるものが何なのかが明確に判らないから外側にあるヒントを活用して自分の真実を明瞭にしていくような感じです。
言葉を変えると、自分の本来の好みを探求しながらオリジナルの人生を歩む感じがいいと思います。

だから僕は心が共鳴することをとても重要なサインだと思ってます。
主体は常に自分です。

.
--- 覚悟を決める ---
自分が自分であることの責任を自分が負うことに覚悟を決めるという意味です。
言葉を変えれば、自分には自由意志があり、その行使に伴う結果は全て自分が受け取るという覚悟です。

.
--- 人生はその人だけのオリジナル ---
古い人間社会の感覚では、「正しいこと」は万人に共通の正しいことなのだから判ってない人には何が何でも理解させなければならないというのが普通だと思います。
この考え方を思い切って捨てちゃって下さい。

だから新しい感覚へ目覚めていく道のりも重要になる事柄も修得して行く順番もタイミングも全部その人それぞれです。
そして自分の人生も今ここにしかないオリジナルです。たとえ自分の道のりによく似ている前例の人がいても厳密にはどこかが違っているはずです。
自分にしっくりくるヒントを探してください。

たとえ善意であっても特定の相手を無理やりなんとかしようとするのはとても危険です。
これを無理にやるとただの精神的な暴力になります。
あなたが良いと思う何かを誰かに提案したりお勧めしたりしたとしても最終的な決定権はその人にあります。

自分にオリジナルの人生があるように誰にでもオリジナルの人生があります。
そのことをきちんと認め合い尊重しあいましょう。
その上で自分を侵害してくるような相手には、遠慮なく「No!」を表明しちゃいましょう。

.
--- ガイドさん ---
僕には見えない世界を見る能力が無いので確定的に断言は出来ないのですが、たぶん全ての人にその人の人生をサポートしてくれている見えないガイドさん達が傍に居てくれていると思います。
気が向いたら話しかけてみるのもいいかもです。
なんらかのサインで返事を返してくれるかも知れません。

今のタイミングで知ると丁度いい情報とかを、なんとなく開いたサイトや誰かの言葉などを通して教えてくれることがあるので軽く感覚を敏感にしておくといいと思います。

.
=== 動機の基盤 ===
人が望みを持つときや行動を起こすときには必ず何らかの動機があります。
そして自分のさまざまな動機を支えている基盤を変えていくことが大きな意味を持ってくると思います。

端的に言葉にすると、これまで不安や恐怖を基盤にしていた自分から愛を基盤に据えた自分に変容していくという事です。

これは言葉で言うほど簡単な事ではないのですけど、出来始めるといろいろな事が楽になったりいろいろな気づきや発見をしていくようになります。
これは自分が「いい人になる」とか「立派な人になる」とか「優れた人になる」というようなことではありません。
単純に自分がより本来の自分になっていくという事です。大袈裟な意味はありません。ただそれだけです。

.
自分の基盤になっているものが恐怖から愛へと変容していくと、それに伴って「分離感覚」や「善悪二元論」は自然に薄れていきます。
無理に「分離感覚」や「善悪二元論」を否定したり、なんとかやっつけてしまおうとする必要は無いと思います。
自分が愛に基づいた生き方を望めば、ガイドさんたちがひっそりとサポートをしてくれると思います。

焦る必要はないので自分を取り巻く環境と自分のペースで無理のないようにどうぞ。

.
この素敵な時期にみなさんと巡りあえたたことに感謝します。

.

長文に最後までお付き合いくださいましてありがとうございました。
またどこかでお会いしましょう!

拍手[1回]

PR