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ふわふわさらさら

こんにちわ! こうしてご覧いただけるご縁に感謝します。 気になること・なんとなく思いついた妄想などを気ままに描いていきます。 もし気になる部分がありましたら受け取ってください。 お気に召さないようでしたら「たわ言」と笑っていただければ幸いです!

無茶を承知で「ワンネス」を言葉で描いてみる

こんにちわ!

ふぅ~ 6月になりましたねー
西暦2017年の前半終了間近のこの時期、みなさんいかがお過ごしですか?

今回は自分でも無謀と思いつつも「ワンネス」(Oneness)について文字でそれを描いてみたいと思います。
この言葉、簡単に言ってしまうと『全ては一つ』って事なんですけど、この言葉が指し示してるそのものってやたらとデカイですよね。
そしてそれに名前を付けるために言葉を使って表記はできても、決して言葉特有の性質である「全ての中からある特有の特徴を限定的に切り出して概念を特定する」という機能では「ワンネス」そのものを表現するのは不可能ですね。
だって「ワンネス」自体が「全て」そのものですもん。(そういうことだと思います。 多分...)

これを文字で描こうとする今回の試みの無謀さは、例えて言えば「氷の彫刻で氷そのものを表現してみたい!」くらいに無謀です(笑)
もう訳わかんないですねw
とりあえずやってみたかったので書いてみます><w

ちなみにここで書く内容は自分の「そんな気がする」とか「こんな感じだと思う」とか「夢で見た」とか「気になる文章を見つけた」とかの感覚の断片を有機的に統合したものですのです。
ですからすごくいい加減なものだと思います。お詳しい方からするといろいろと不具合を指摘したくなるかも知れません。

どうかそんな時は、空に浮かぶやわらかい雲みたいな心で温かく眺めてやってください(笑)

「今この筆者はこんな感じに受け取ってるんだな~」くらいでねw
でもきっと、いろんな箇所で皆さんそれぞれが持っている「ワンネス」へのイメージと食い違う箇所があったとしても、この点だけは誰とでも共有してもらえると思います。

『 ワンネスは理屈じゃなくて感覚! 』
この点だけは間違いがないと思います。

=== 「ワンネス」の概念イメージ ===
これまで物質文明に依存してきて「目に見えるものこそ現実!」としてきた私達にとって「ワンネス」はちょっと理解しづらいものだと思います。

今現在の普通の感覚だと「私は私! 貴方は貴方! 別々でしょ!!!」っていう分離感覚が全ての認識の基本になってる訳ですけど、ワンネス感覚に気づくとそれが一変します。
「私は私。 貴方は貴方。 私は貴方で貴方は私。ここにこの時、共に居ますよね~」みたいな感じです。

ここで『なんでやねん?』と思われた方。
なんででしょうね(笑)
不思議な感覚ですね。

『そんな訳あるかいなっ!』って思われた方。
僕は個人的に、そんな不可思議な感覚が論理的思考の外側に実在していてもいいと思うんです。
なぜなら僕らが、これまでの僕ら自身が偏った狭い視野の中で生きて来たのだから...

脳みそが事象を解析して解釈する理屈の世界に意識を留まらせていると、この感覚は「まったく理解不能」であるばかりか「あり得ない」または「あってはならない」という解釈しか出てきませんね。
ここではちょっと脳みそさんにはリラックスしてもらって、心の中でたくさんの波がゆらゆらと行きかっている海の様子をイメージしてみてください。
そう! あなたが空に浮かぶ雲になって海の表情を眺めてるみたいな感じでね♪

海面には形は良く似ているけれど確かにそれぞれが違う個別の波がたくさん存在していますね。
そこにある波の中の一つを自分だと思ってみてください。
そしてその横にある波を隣に居る人だと思ってみてください。

そこに在る「自分の波」と「隣の人の波」って確かに別々の波です。
波を「海水が盛り上がった個別の形状」と認識した時は「自分」と「隣の人」は明らかに別々です。
同じであるわけがありません。

ではでは、少しだけ着眼点をずらしてみて下さい。
そしてその両者を区分する境界線を探してみてください。
境界線ははどこにありますか?

そうです。実はどこにも無いんです。
別々だったはずの両者がシームレスに連続的につながってます。

お互いの波は互いに影響し合い関連しあいながら繋がりあって共にその形状で存在しています。
今その瞬間に。

そしてさらにその繋がり合いを「自分の波」を中心にどんどん辿っていって視野を広げていってみてください。
すると今度は「自分の波」が海そのものになっていきます。

さらに着目する中心点を「自分の波」から波たちの存在を自然に生み出している「海そのもの」へ移してみてください。
ゆらゆらと行きかうそれぞれの波たちがさっきまでとはまた違った意味を持ち始めます。

ワンネス感覚ってちょうどこんな感じだと思います。

「ワンネス」って、僕らが住んでるこの地球も、地球を内包している宇宙も、物質の形態をとっていない見えない世界もこの感じでシームレスに繋がって関連し合いながら成り立っている事をそのまま感じて認めるってことだと思うんです。
当然、僕ら人間同士も。 そして人間と自然も。 人間と動物も。 人間と植物も.....

言い換えたらワンネス感覚って単にこれまでと比べて「視点が変わる」とか「認識が変わる」、「ものの見方が変わる」ということだと思います。
つまりは「自分自身の感覚が新しく生まれ変わる」ということです。

『はぁ? なんだよ! そんなことかよ!!!』と思われた方。
僕は単純にそんな事だと思います(・。・)
たぶん...

たった感覚が変わるだけです。でもでもこの変化って、このワンネス感覚への変容って私達が暮らしているこの現象世界を変えていくと思いませんか?
だってこれまでと違って、もう分断しあって対立しあって争いあう理由がなくなりますもん。

そしてこれは決して今までのように善悪判断で「良い」or「悪い」とか「メリット」or「デメリット」で考えるものでも判断するものでもありません。
ただの感覚的理解です。
「素敵」と感じたならそれは素敵です。
ただそれだけです。

.
.

=== 物質としての自分・意識体としての自分 ===
とはいっても、「海」と「人間」は明らかに違うものですね。
海水は液体だし、人間は固体です。
海の波は本質的には実体のない波動の伝達だし、人間は物質でできた実体です。

今まで私たちは物質で出来ていること。すなわち目で見て、手で触って「確かにここに在る。誰が見ても確かに在る。」という意識を根拠に「存在」を語り、それを「現実」と呼んできました。
だからこそ物質であることを重要視して、それを主体に「存在」を語ってきました。そしてその認識の仕方に対しては何の疑問も持つことがなかった。それが実情だと思います。
ここで改めて想いを巡らせてみませんか?

『本当に物質であることが「存在すること」の主役なの?』

物質は確かに重要です。金属が無ければ文明は栄えなかっただろうし、地球の大地も固い物質だから僕らは立っていられるわけですしね。
空を見上げたときに見える太陽や月やきらめく星たちも物質です。毎日の食事も飲み物も物質です。

物質は目立つし理解しやすいし便利に利用できるし、僕達の生活は数々の物質に支えられて成り立ってます。
この忙しい毎日の中で生きていると、ついつい物質だけがこの世界に存在しているように思えてしまいます。
僕はそんな自分の認識力にちょっと疑問を投げかけてみます。

「ところでその認識って本当に真実を捉えてるのですか?」

例えば、僕にも貴方にも感情があります。心があります。感性があります。そして魂があります。
それらは誰にでもあります。そしてどれ一つとして物質ではない。
今この時期だからこそ、改めてこの不思議さに着目してみませんか?

どちらかと言えば唯物論に支配されてきた私たちの感覚に基づいて、これらの精神的な事柄を説明するとこんな感じになると思います。
「精神にまつわる意識や心や感情とは、千数百億個とも言われる膨大な数の脳細胞が電気信号を送受信する一連の活動の中で生成されるある種の幻想である。」
あなたの人生の中でも一度はこんな説明を受けたことがあるんじゃないでしょうか。

この手の説明に納得してしまうと、心や感情や感性や魂までもがなんとなく物質の支配下にある付随物のように思えてしまいますね。
ここで安易に納得せずにさらに疑問を追及してみます。

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○私:
「それらの膨大な数の脳細胞のその活動を生成しているものは何ですか?」
●唯物論:
「自然現象です。」
○私:
「じゃぁその現象を引き起こしてる自然そのものって何ですか?」
●唯物論:
「原因が結果を引き起こし、その結果が新たな原因となって次の結果を引き起こす連鎖的な物理現象です。」
○私:
「物理現象を人間が理解できる数字や記号や概念を使って人間が理解しやすい論理的説明に整理したものが科学ですよね。唯物論も科学の発展経過の中で仮定された一つの考え方であって一般的には普及はしましたが確定されたものではありません。ましてや科学が自然現象の全てを解明しているわけでもありません。そればかりか自然の何%を解明できたのかすら判らないのが実情です。そうではなくて自然そのものってなんですか? 目に見えない自然そのものってなんですか?」
●唯物論:「・・・」
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とどのつまり僕らは自然そのものが何なのかを知らない。そして僕ら知らないという事実に目を瞑ったままあたかも人間は全てを知りえたような気になっている。
さらに人間の都合がこの世界の全てであるかのような集団錯覚の中で、人間同士でしか通用しない屁理屈をこねくり回しながら人間社会を取り繕って日々を生きている。自然と無関係な理屈の中で...
それが実情であり現実だと思うんです(・。・)

もう一回、改めて自分達を取り巻く環境を見つめ直してもいいんじゃないでしょうか。
自分が何かを勘違いしているかもしれないという前提でね。

ここでちょっと視点を変えますね。
僕達は一般的に「自分」と「隣の人」を区別するとき無意識的に物質的な観点から肉体をその基準にしてしまう習慣があります。
そして自分の心や魂や意識などの精神はその肉体の内側にあると考えるのが一般的だと思います。
でも僕は、今現在のこの時点においては、その一般的な認識形態を不適切な認識の仕方だと考えています。個人的にね。
そして既にそれらが逆転した状態で肉体と精神の関係を認識をしています。

ここで少しぶっ飛んだ自説を披露しちゃいますけど、僕は大きな「意識体としての自分」の中に小さな肉体の「物質としての自分」が在ると思ってます。
この認識の仕方は現時点ではかなりぶっ飛び過ぎてて一般的には了承しづらいと思うので、もしあなたがこの認識の仕方を不快に感じるようでしたら笑って済ましちゃってね(笑)

僕がこんな認識に至った経路は以前ブログ記事に書いた『自分を愛してください』という言葉でした。
今思い返せばこの言葉は、自分が捜し求め続けた数々の疑問や難問の解を次々と解き明かしていく魔法のマスターキーでした。
そしてその節目節目で物事を識別するときに使った尺度は『自分にとっての「素」の感覚にしっくりフィットするかどうか』でした。
その詳しい経緯は書かないほうがいいと思うので書きません。ただ不思議だったのは、自分が自分であることの明瞭度が上がるにつれて、いろんなヒントが僕にとっての最適な順番と最良のタイミングで顕れ続けたことでした。
それらは友人の何気ない一言だったり、世間話の中で自分が相手に向かって無意識に発した一言だったり、別件で検索したネット情報の一節だったり、ふとした弾みでひらめいたインスピレーションだったり.....

あ、ちょっと話が脱線しかかってますね。すいません(笑)
話を元に戻します。

僕の感覚的な理解を基にした自説を大雑把に紹介しておきます。

--- 自分とは何か ---
自分で「自分」を語るとき、「自分というキャラクターは一つ」という前提の基に自分の特徴や特性を羅列するのが一般的です。
でも今となっては僕はこの前提自体を不適切だと考えます。

自分で自分を語る「自分像」とは、いわば脳みそさんが作り出した表層的な自我意識の自己紹介に過ぎません。
意識には「顕在意識」と「潜在意識」があることは既に広く知られています。言ってみれば自分で自分を語るときの「自分像」は顕在意識が作り出した虚像の自分像であって、自分そのものの一側面に過ぎません。
そして顕在意識が虚像であり一側面である自分像を明確化するときにやりがちな方法は他者との比較です。

先に挙げた海の波のイメージを使って説明するなら、「自分の波」は「隣の人の波」と比較して大きいか小さいか。高いか低いか。美しいか不恰好か。明瞭な水色か泡だらけの不鮮明な色合いか....
確かにそれぞれを見れば見るほど個性的な特徴を持っているので、それぞれに違いがあることはまったくそのとおりですね。
ただ、ここで犯しやすい過ちは、その比較に身勝手な価値判断を組み込んで自分や他者の価値を断定してしまうことです。
大きいから素晴らしい。小さいからつまらない。高いから優れている。低いから劣っている。美しいから愛される。不恰好だから愛されない.....
素晴らしくあるためにはより大きくならなければならない。優れたものになるためにはより高くならなければならない。愛されるためにより美しくあらねばならない.....

さっきあなたが雲になって海の様子を眺めていた視点にもどって、そんなことでなんだかんだと争いあい、競い合っている波たちの様子を眺めて見てみてください。
どうでしょう?

そんなことどうでもいいことじゃないですか?(・。・)
そんなことより、個性豊かな波たちが織り成す海の表情を素晴らしいと感じませんか?

僕が言う「意識としての自分」と肉体としての小さな「物質としての自分」ってちょうどそんな感じです。
いわば、雲の視点で見ているあなたが「意識としての自分」。海の波をやっているあなたが肉体としての小さな「物質としての自分」です。

僕らにとって普段の生活を共にしてくれている表層的な意識は、日々のこまごました出来事を処理していく上で頼りになる大切な相棒です。
ただし、だからといって自分自身の全世界を「それだけ」に限定してしまうのはあまりにも不適切だと思うんです。
肉体の視点だけで物事を見てそれだけで判断すると、その視野の狭さのせいでいろいろな不都合を自覚することすらなく生成してしまうと思うんですよね。
なぜなら肉体側だけの視点で物事を判断するのって、せいぜい二元論にのっとった判断くらいしかできないですもん。
「どちらが優れてるか!」とかのね(笑)

僕にとって、肉体側の小さな「物質としての自分」とそれを内包する大きな「意識としての自分」は同時成立しています。
どちらが優れているわけでもないしどちらが劣っているわけでもないです。
単純に共に調和しながらそうあってくれていることがありがたいです。
いわば、身体に例えるなら脳みそさんと胃袋さんみたいなものですねw
「脳みそは考えるから優れている。胃袋は消化しかしないから劣っている。身体はより優れた脳みそに純化しなければならない!」なんて誰も考えませんよね(笑)
逆に「脳みそは考えるばかりで栄養を供給しない。だから身体はより胃袋に純化してもっと栄養を供給するほうが現実的だ!」とも考えないですよね(大笑)
そんなお馬鹿な屁理屈よりも両者ともにより健全に活動して、よりよく調和してくれることを願う方が大切ですもん(笑)

ちなみに「意識としての自分」を明瞭に知覚するのは困難です。しかも言葉を使いません。ぼんやりとした想いや感覚やイメージを通したコミュニケーションです。
その上、人間社会の都合から発生する欲望などにはあまり関心が無いようです。同じく人間社会の都合で起因した責任感などにもあまり関心が無いようです。
あるのはただ肉体側の自分が決めたことや望んだことをきちんと受け取る責任。自覚の有無を問わず自分に関わる全てのことを自分が望み、自分が決めているという事実に対する責任です。
例えば他人の言いなりになってその通りにすると決めたとしても、「言いなりになる」と決めた自分の決定が生み出した事象を自分自身が受け取ることへの自己責任です。
その他には、基本的に肉体側の「物質としての自分」が日々を生きる姿を楽しんで見守りながら、本心で望んだとおりの体験をすることを願ってくれてるような気がします。

もし「意識としての自分」からのメッセージに強引に名前をつけるとしたら「心の声」と表現するのが妥当なんだろうと思います。
ちがう表現をするなら「直感」とか「どうしてもこれが好き」とか「やりたくてしょうがない」とか「インスピレーション」とか、、、
ただし注意しないといけないのはこういうのって「妄想」や「気の迷い」などと紙一重なので、「素」の自分の明瞭度を普段から上げることに気遣いすることをお勧めします。
都合のいい身勝手な作り話などではなく、正直に自分への理解を深め受け止めていく「素」の自分に対する誠実な態度をお勧めします。
よく判らない時はその「判らないままの感触」を判らないそのままの感じで受け取る正直で誠実な態度です。

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--- 自分とワンネス ---
ここではワンネスを主題にして原稿を書きたいので「意識としての自分」に着目して話を進めます。
僕は上記の自分論を基に他者の在り方も相似形として認識していますので、他の方々にもそれぞれ大きな「意識としてのその人」が居るという感じで周囲を見ています。
人だけじゃないですけどね(笑)

その物事の見方において、それぞれの「意識」がシームレスに連続的につながり合って全体的な表情を織り成す海の中に居るような感じで自分と他者を捉えています。
ですから先述した海のイメージに例えたワンネスの風景は、僕と皆さんのそれぞれの大きな「意識としての自分」が織り成す風景と本質的に全く同じです。
そして肉体側の視点だけでワンネスを理解しようとするとただのおとぎ話にしか聞こえないのも、海の波を「別々の個別の形状」という視点だけでしか捉えなかった時に「同じであるわけがない!」としか言えないのと本質的に同じです。

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意識の持ち方を変えると世界がそれまでとは違った姿を顕しはじめます。
新しい姿をした世界観を感じ取ると自分自身の感覚が変わりはじめます。

以前からここにあった自然現象は何も変わりません。
ただ、人が「今」というこの瞬間に創り出す未来像が変わり始めます。
人間が創り出す未来の世界像が変わり始めます。
意識に即した感じに変わり始めます。

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=== この世界は何でできている? ===
上記の自説「自分論」をいま暮らしているこの地球や、地球を内包するこの三次元現象宇宙や、その外側にあるこの宇宙を内包する見知らぬ世界を全て含めた「この世界」(大いなる全て)に展開していくと、僕にとっては「世界は意識で出来ている」という結論に達します。
もちろん目に見えない意識の水平展開・内包関係の連続体なので、認知不可能な目に見えない「存在する方々」の存在も認めながらね。

ちなみに最近、僕は「世界は○○でできている」というフレーズを目にすることが多くなりました。
僕はこの原稿の中で「意識」という言葉を使っています。しかし、だからと言って僕が「意識」という言葉に固執している訳ではありません。
ある人は「世界は愛でできている」と表現しています。
ある人は「世界は波動でできている」と表現しています。
ある人は「世界はエネルギーでできている」と表現しています。
たぶんどれもそうなんだと思います。そしてどの表現もなんとか「それそのもの」を言葉で示そうとしているんだと思います。
感覚が受け取る情報量と比較して、言葉が抱えることができる情報の容量が小さすぎて言葉に収まり切らないんだと思います。

だから使われている言葉に拘るよりも、それぞれのフレーズが「それそのもの」を表現しようとして使った言葉に変換する以前の「それそのもの」に想いを向けることが大切なんだと思います。
どの表現がより的確かを問うのは馬鹿げています。
そんなことより自分がどう想いを巡らし、どう感じ取るか。
その時、自分ならどう表現するか。
どんな表現をすると自分に一番しっくりフィットするか。
自分の感覚を大切にして発展させていく方がはるかに重要です。

つまりこれは自分の「素」を探求する旅であると同時に、この世界の真相を探求する旅でもあるような気がします。
そして人生とは、その探求をしながらこの肉体を使って「それそのもの」を表現していく創作活動であるような気がします。
「寝る」とか「ぼんやりする」とかの一般常識の尺度で計れば価値が低いとされる様々な行為を含めてね(笑)

主題をこのトピックに戻すと、僕は「世界は意識で出来ている」と思っています。だから「この世界」の全体像は大きな意識体です。
この意味において「物質」だけが世界を創っているとは考えません。ましてや「物質」が「この世界」の主役であるとも考えていません。
物質は重要でですがこの世界を構成する一要素にすぎません。
ただの一要素です。

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=== ワンネス感覚が人類文明に大転換をもたらすかも??? ===
                --- そうなったら素敵じゃね? ---
感覚って人間が思考したり物理的に行動したるする全ての活動を支える基盤ですよね。
だから感覚が変わると自然に志向する方向性や趣向が変わりはじめます。そして自分自身が変わりはじめます。
さらに不思議と出会う人や興味をいだく相手も変わっていきます。

僕はまだその感覚が弱々しくて不明瞭で雑音だらけの途切れ途切れのラジオ放送のような感じなんですけど、たくさんの人達と同じような感覚を共有していくともっといろんなことが鮮明に明瞭になっていくと思ってます。
そしていろんな人達と、それぞれの人々が自分の中から湧き上がってくる「好きなこと」や「やりたいこと」を実行する事の一つ一つがいつの間にか打ち合わせなしの自然で必然的な組み合わせの共同創作になっていくことを夢見てます。
いわば地球を大きなアトリエ兼作品展示場に見立てて、知ってる人・知らない人・会ったことがある人・会うことのない人に関わらず、そんな感覚を共有できる人達との共同創作をしていくことでまだ決まっていない「未来」という新しい共同作品を創っていくことを願ってます。
あたかも僕ら一人ひとりが、自分の感性に誠実な名も無き小さなアーティストであるかのように、主体的に自発的な自由意志と個性を発揮しながら生きることを通してね。

--- ちょっとカッコよく書きすぎた気もするので同じ想いを別の表現にした文章も載せておきますw ---
ぶっちゃけて言うと僕は自分自身がスッキリと納得のいく生き方をしたい。そしてそんな自分の生き方が生み出した何かが、何らかのカタチで誰かのためになってくれたらものごっつ嬉しい!
もしその願いが実ったら、自分がこの世に生まれたこの事実の上にそれ以上の喜びなんて有り得ないと思う。
そんな出来事が生まれた人すべてに起こり続けて、調和した日々の生活の中で、誰もが産まれたことの意味を謳歌する新しい地球へと現状が変容していくことを切に願ってます。

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ちなみに僕は、今までみたいな誰が作ったのかもわからない得体の知れない人生の理想モデルを追いかけるのはもう飽きました。
他人が力説する正義感に振り回されることにももう懲りました。
もう、いつも何かに追い立てられている生活を幸福と呼ぶこの社会にうんざりしちゃいました(・。・);

はぁ お茶漬けたべたい...

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=== 最後に、もしよかったら ===

もしよかったら、最後にもう一度だけさっきの海を眺める雲のイメージの中で、雲になって大きな海を眺めてみてください。
今度はあなたの高度をどんどん上げていって、そのまま成層圏を飛び出して、宇宙に浮かぶ丸い地球さんを感じてみてください。

感じるままにそのままを...

もしよかったら...
もしよかったら...

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長文に最後までお付き合いくださいまして有難うございました。
またどこかでお会いしましょう!

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